■南ア/尾白川西坊主沢[アイスクライミング]
2005.12.29-.31
治田敬人、高田貴
甲斐駒は尾白川の西坊主ノ沢。その出合に立ちF1の120mを見上げ、登りたいと熱く燃える意志が表れないアイスクライマーはいないと思う。確かに冷静に見て分析する輩もいるだろうが、気持ちは一瞬に表れるものだ。圧倒される中、単純にやりたいか、とても無理か、と思う心だ。それは自分の内面の正直な気持ちといえる。今にも取り付き登ってみたいという気持ちが湧き上がるのが自分でも不思議なぐらいわかった。そうそれは2003年の年末のこと。その時は新人二人をアイスの中堅レベルにアップさせたく、北坊主と滑滝沢の継続登攀から甲斐駒を狙い、バッチリ決めた。特に滑滝沢はマルチのアイスとして文句なしのルートといえる代物だった。
翌年、あの西坊主が忘れられず計画を企てる。だがそれは相棒の転落によるあごの骨折と胸部打撲の事故で断念(ただ相棒の根性で黄蓮谷左俣に変更し完登)となる。
さて、2005年の最後の山行も迷ったが、どれも決め手はなく、やはり「西坊主」しかなかった。
12月29日
毎度のことだが、西坊主の位置する所へは簡単にアプローチはできない。丸一日行動しても出合には辿りつけない。黒戸尾根の五合目から黄蓮谷へ下降し尾白川へ出合。トレイルは運良く残っているが、それでも時間はかかる。坊主の東北壁や冬の渓谷美に励ませられながら歩を進める。
北坊主ノ沢手前で泊りとするが、2年前とほぼ同じようなところだ。ま、予定とおりか。疲れたがじっくりウオッカを楽しむ。明日、念願のあの氷に取り付けると思うと体が熱くなってくる。
12月30日
西坊主沢F3を登る
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早朝からのラッセルは深く厳しく西坊主までは一汗かかされる。堂々のF1はやはり良い。氷の滝として存在感がすばらしい。高さも幅も大滝として充分な迫力で僕らを迎えてくれる。もちろん僕らも気を引き締めてそれに応えなくてはならない。
緩い1ピッチ目は高田がザイルを伸ばす。2ピッチ目は少し立っており、氷もモナカ状に浮いていて精神的によくないが、叩き割ってから甘い氷にスクリュをねじ込めば、あとは体を上げていく単純動作の繰り返し。3ピッチ目も立っており、凹角部を狙ってはいるがそれでも体は飛び出す豪快なクライムが味わえる。実質3ピッチ150mで核心部は抜ける。体感グレードはX−だ。その上は緩い氷が続く。ただ、ノーザイルでは万一のスリップでも一巻の終わりなのでスタカットで攻めていく。
次の大滝はF3。これも実にすばらしい。2段構えで上の傾斜が強く、左側はハングの岩から氷が垂れ下がっている。おそらく西坊主でなく他の谷では主役をはれる滝だろうが、いかんせんここではつなぎの滝という存在だ。約60mで2ピッチ。W+ぐらいだが、油断は禁物。2段目の取付きで治田がスリップ、薄い氷のピックの外れが原因だ。
さらにスタカットで攻めてゆく。かなり疲れはきているが、先行の高田が大声をあげている。「おおー、なんだありゃ、でかいぜ、大滝だ」続く僕も唸ってしまう。うーん、さすがに噂の西坊主だ。頭上遥かに最後の大物のF4が光っている。それは嫌になるくらい高い位置から氷をダラッと垂らし、存在を誇示している。周りのスラブ壁と相成り、また青空の白い雲がグングン飛び交う中、一種、絵になる空間を保持している。まさしくこれはどんな雑誌にも登場してない、グラビアならヒットもんの景観だ。ここに来たものしか味わえないし、ましてこれから登れるという幸せは望外だ。
さあ、最後のクライムを決めていこう。見た目以上にでかいので、僕が下からのつなぎで半ピッチ、2ピッチ目を高田が攻める。テカテカ光る黄色の氷は硬く割れやすく、均一の傾斜で延々と続く。ここはいわゆる腕に来る傾斜でなく、ひたすらフロントポイントに体重がかかるため過度にフクラハギに負担がくる。左側の木のある地点でピッチを切り、3ピッチ目は右に小トラバースをして、滝の左ラインを攻めていく。もちろん弱点つきである。
朝からの登攀で体は消耗しているが、だからこそ一発一発のバイルやアイゼンの蹴り込みと立ち込みを慎重に行う。さらにもう1ピッチの計4ピッチでこの大滝を足元にした。もう時間もかなり喰い17:00近い。一気に稜線に上がり体を休めたいものだ。だが、この頃より異常な強風が吹き荒れる。ヘッドライトを装着し今度はラッセルだ。谷は左折し、雪が増えたものの僕らはまだザイルを解いていなかった。疲れもあったし完全な安全圏に入っていなかったからだ。案の定、緩い氷が出てきた。それから先は右岸側の樹林帯を登りだす。稜線にだいぶ近づいたがまったくビバークできる場所が見つからない。それにもの凄い風だ。風が叫び木々を揺らし荒れ狂う。これでは腰をかけて一晩明かしても体力を滅茶苦茶に消耗し、翌日の行動体力を保てないだろう。それに凍傷になる確率も高い。ヤバイぞ、どうするか?僕は今後を考えを推し進め、再び谷に戻ることを決断した。高田は驚いたが冷静に状況を考えると、それしかないとやはり同じ結論となった。
急な斜面を慎重に戻り、谷に降りる地点で潅木にザイルの支点を設け緩い氷瀑の上に雪面を削り何とかツエルトを張った。外は強風が唸り、背中や後頭部に雪つぶてがぶつかる。そんな中、水を作り飯を何とか喰らう。やっと落着いたのが23:00。
12月31日
まったく寝たのは一瞬という感じ。横になった体に雪が被さり息もできないぐらい重い。辛抱し4時前に行動起こすが、除雪したいがツエルトからも抜け出せない。下手に動くと雪の斜面をツエルトごと落ちてしまう。いくらザイルシフトしていてもかなりやばい状況だ。つまり雪を削った棚が幅40センチほどに上から押されて縮んでしまったのだ。決死の覚悟で何とか飛び出し除雪。やっと熱いコーヒーが飲めた。
本年最後の山と闘うべく、決意を新たにし行動を起こす。今日の行程は複雑だ。まず、沢をつめ上がり、尾根越えから北坊主ノ沢に降り、さらにザッテル越えで、東北壁と東壁の間の中間ルンゼを下る。ルンゼの雪が不安定なら東北稜下降と考えていたが、締まっているのでOK。途中一箇所空中懸垂15m。続いて坊主東壁の基部への横断。そこから壁をトラバースし東稜乗越。そこより黄蓮谷へ支稜を下降。いわゆる過去の登攀者が辿った跡を追っているにすぎない。
それでもルートファインディングの力はかなり要し、山を読み込めないとルート取りは相当厳しい。悪天で初見ならば、かなり困難な下降といえるだろう。
谷に降り立てば安心し沢水をガブ飲みする。だが黒戸尾根の登り返しがこれまた辛い。口をへの字にしてやっとこさ五合目小屋。あとはただ、ゆっくりと下る。途中振り返り坊主の壁やその谷間に思いをつなげる。
「甲斐駒の氷に通い、やっと念願の西坊主がやれました。ありがとうございました。大きな谷を意識して、何年も前から八が岳などの氷はビバークを入れた継続を繰り返しました。これからも精進し、技とハートと体力を追求します。アルパイン型アイスを求めつつ、時代の流れの如し、テクニカルな大滝も狙いたいと思います。どうかよろしくお願いします」
竹宇の神社には暗くなったころようやく降り立つ。時を同じくして入った三峰川の岳沢パーティも下山したようだ。これで安心して大酒と楽しい新年が迎えられる。
治田 記
【記録】
12月29日
駒ケ岳神社7:15〜五合目11:30〜北坊主ノ沢手前16:15
12月30日
発6:30〜西坊主8:20〜終了17:00〜稜線直下19:40〜下降しビバーク20:30
12月31日
発7:15〜東稜乗越し11:00〜五合目12:10〜竹宇神社17:20
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